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2023年11月19日日曜日

ツール・ド・おきなわ2023 市民200km(後編)

前編からの続き

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©Makoto.AYANO/cyclowired.jp
決してノリが悪いわけじゃないです(^^;)

小雨が降る中、ライバル達も集結。ウインドブレーカーを脱いで妻に受け取ってもらい、いざスタート。走り始めたらやはりやや肌寒いがしばらく走っていれば問題なくなった。

何名か逃げた人もいるようだが、有力選手は入っておらず容易に容認され本部半島を淡々と進む。本部の宿泊地前で子供達と義母が沿道で応援してくれているのに応える。自分の中でリラックスできているのを感じた。
しばらく走って感じたことは、このコンディションでみんな事故なく無事に帰りたいと思っているようで安全マージンを多くとるような雰囲気があり、無茶なことをする選手が少なく例年よりむしろ落ち着いていたような気がした。
逃げグループの人数も少なくタイム差もあまり開いていないようだった(違ってたらすみません)。

ところで今回、事前にマークすべきと考えていた選手について。
もちろん筆頭は高岡さん。もう加齢で衰えてくるのを待つしかない(ほど隙がなく強い)と何年も前から思っていたのだが、一向に衰える気配がないどころか何故か更に強くなっている気がする。直前の200kmTTでもあり得ない平均速度で走り切っていた。
雨で寒いのが云々とか全く考えてなかった。沖縄の高岡さんは必ずベストコンディションで来ると考えて何の損もないことはこれまでの経験から分かっていた。
そして中里選手が不気味である。ヨーロッパでのプロ生活も長く経験しており、もしちゃんと練習していたとしたら私などとは全く異なるレベルの選手である(高岡さんもそうなんだが)。かつての武井さんなどのように、この素人のおっさん達の戦いに割り込まんといて欲しい類のレベチな選手だ。ただし今回のレースに向けてどのぐらいの気持ちで練習を積んできているのかはこの時点では自分に全く情報がなかった。
あとはもちろん我らがマツケン師匠。今シーズンも調子云々とか言いながら何だかんだで調子を合わせてきており、最後は結局残ってくるに違いない。精神力というか根性が並外れているといつも感じていた。
他にもクボタ君やマナベ君など新鋭の強豪クライマーも脅威ではあるが、ロードレースでどのぐらい走れるのかは不明であり、経験上はいきなりロードに出て好結果を残した選手は知らなかったのでおそらく前述の選手達の戦いになる可能性が高いだろうと考えていた。
結果的には半分は間違っていた。

西海岸に出てからは風も強く、雨も一向に弱まる気配がなく少し寒さを感じるようになっていた。ゴローさんから右の車列の風下に入れとアドバイスを頂きしばらくいい位置で走れた。
高岡さんは頻繁に前に出ているので多分寒いんだろうなと思っていた。
自分も少し身体を暖めるためにマランゴーニが前にブリッジしたタイミングで自分もブリッジして動いたりしておいた。ちなみにマランゴーニもちゃんと練習していたら脅威であったが、Stravaのログを見る限りはサイクリング程度しかしていなさそうだったのでおそらく問題ないだろうと思っていた。
時折動いていれば、出力低下し始めるほど身体は冷えなさそうだと感じていた。

あっという間に1回目の普久川ダムの登りへ。

©Makoto.AYANO/cyclowired.jp
EMUの2人がいいペースで登っていく。

とりあえず先頭付近で様子を見ることに。マナベ君とクボタ君のEMUコンビがいいペースで先頭を走る時間が長く、1本目としては速そうなタイムで押していくがついていけないほどではない。そこそこ集団削られるんちゃうかな?と思ったけれど、このコンディションで下りがゆっくりになるので奥方面に入った頃にはまだかなりの人数が残ってそうだった。
奥で2度目のトイレタイム。マツケンさんはかなり寒くて震えが止まらんと言ってた。確かに寒かったが自分は震えを感じるほどではなかった。脂肪を身体に残しといたお陰なのだろうか?

©Makoto.AYANO/cyclowired.jp

何人かが逃げたらしいが全くこの時点では知らず、有力選手には特に大きな動きはなかった。
奥の登りを経て西海岸に出た時に一度クボタ君と飛び出すタイミングがあった。
追い風だし、非常に強いのを知ってるので、ダメ元で行ってみるかと少し踏んで2人で回したもののあっという間に追ってきて捕まった。
まあそりゃそうだ。
後は集団の中で淡々と走って2回目の普久川ダムの上りへ。入る前に集団内での位置を下げてしてまっておりミスったと思ったが、2019年の時の誰かのようなことをする奴はいなかったので助かった。
すぐに先頭付近へ位置を上げることができ、ペースアップに対応できるようにする。
乗鞍2位のきょうしろうが上げていき、少し差が空いてここまま行ってしまいかねんと思ったのでそこへブリッジ。このまま上げ続けられたらキツいなと思っていたがその後緩めてくれたので助かった。後は確かまたEMUコンビがいいペースで牽いてくれる時間が長かった気がするが、特にハードな局面はなくむしろ1本目より楽に頂上まで。

©Makoto.AYANO/cyclowired.jp
ダム補給場をスルー。

いつもならここで補給ボトルをもらっているが、予想通り半分ぐらいに減ってるだけなので全体ではちょうどいいぐらいだろう。妻に補給にいてもらわなくてよかった。こんな雨の中長時間いるのはしんどいし、2回目通過してからも交通規制が解除されるのが12時過ぎでゴール直後にも会えなかっただろうしな。

ここからの安波への下りは最も慎重にならなくてはならない。集団前方で下りに入り、前走者とはやや車間をあけて安全マージンは多めにとる。
前後の荷重バランスを意識、コーナーはバイクは起こし気味にして滑るリスクは最小限になるようにクリアする。出来るだけ滑りにくい赤い路面を走るようにしたが、無理なライン変更は最小限にして無事に安波の学校坂手前まで。

ここからが自分の勝負である。
昨年はログを見返してもここをゆっくり走ってしまったことが失敗のひとつであり、消極的なレース運びをしたことが最大の後悔であった。今年はもちろん状況に応じてではあるが、行けそうならここで自分から積極的に攻めに転じようと考えていた。
今年のこのレースに対する目標は(雨で朝には無事帰ることが第一になったけど)、勝敗云々よりも自分らしく積極的に走り、LIVEで観戦してくれている人を楽しませれるようなレースをしようと決めていた(結局ここの部分は中継されてなかったっぽいけど笑)。
まだリスクはないとは言えないけど、ここからしばらくはアップダウンがあるだけで危険なコーナーなどはしばらくない。行ける状態なら攻めるのみだ。
登り手前から前方に移動していき、最初から先頭で上げていく。金曜に試走しており大体のペース感も把握している。雑なダンシングはリアが滑るので立ち上がった際はトラクションコントロールを意識し、シッティング多めで踏んでいく。少し空気圧を下げたおかげか滑る気配はほとんどなかった。
中盤で後ろを振り返ると数名はまだついてきていたが後はかなりバラけているのが確認できた。
そして必ずいると思っていた高岡さんがいない気がする。気のせいかもしれないが行くしかない。
ややペースを上げて踏んでいくと頂上付近ではほとんど後ろはいなくなっていた(気がする)。
記憶が曖昧であるが、ちょうど学校坂頂上付近で逃げてたらしき集団に合流。しかもけっこう強そうなメンツである。正直この逃げグループがいることを全く知らなかったのだが、こりゃちょうどいいやと私を前待ちしてくれた仲間達と後ろを引き離すしかない。
回していこうとするが回らず(そりゃそうだ)、後ろ何名かは合流したようである。しかし高岡さんやマツケンさんはいなさそうで、どうやら学校坂での攻撃は想像以上の戦果を挙げたらしいが、ここで攻撃の手を緩めてはいけない。幸い、今日は身体がよく動いて脚もあるようだ。
周りはあまり気にせず積極的に先頭に立ち、ペースを保とうとすると後ろが千切れて差が空いたようである。とりあえず行くしかない。
すると後はお見合いになったらしくみるみる差が開いていく。
これはきた、とシーズンを通して取り組んできたエアロフォームで独走を開始。

©Makoto.AYANO/cyclowired.jp

肘を折り畳みブラケットをリラックスして握り頭を下げて高めのケイデンスで、スムーズに回していくことを意識。
ただまだ下りやコーナーは要注意だ。引き続き滑らないように慎重に。コーナーではバイクは立て気味にしつつエアロフォームは意識して下っていく。「身体は熱く、心は冷静に」を心がけた。ちなみに薄々感じていたが、レース後に独走している映像を見返したらイマイチなエアロフォームだった(笑)

©Makoto.AYANO/cyclowired.jp
う〜ん、イマイチ(笑)

AACAの時の写真ではけっこう良くてだいぶ煮詰まって来たなと喜んでいたが、雨天のためチキってしまいどうしても身体が起き気味になってしまっていたようだ。まあ安全を優先させたので仕方ないが。

ざっきーさん@Photo_The_KeyのXより拝借
AACA第8戦の終盤のエアロフォーム

昨年も高岡さんが独走したように、今回も自分を逃してはいけないのはわかっていても後続は上手く回らずにペースは上がらないはずだ。
そしてこの雨であり、さらに高岡さんは集団にはたぶんいない。
自分には十分脚が残っているという手応えもあり、これなら今のお前ならいけるはずだ。
正直もらったと思った。ゴールで待っててくれる妻、子供達の顔が浮かんで涙が出そうになった。いや待て、まだ早い。まだ残り1時間以上はある。
©Makoto.AYANO/cyclowired.jp

今に集中しろと言い聞かせ、平坦や登りではダンシングを交えつつスムーズに回し、下りは脚を休め気味にして安全に下った。比較的余裕を持って走ってはいるが悪くはないスピードだと思っていた。後続とのタイム差を一度モトバイクに聞いてみようと思っていたが、もう少し後でもいいかと思って自分の走りに集中していた。

もうすぐ慶佐次の登りに差し掛かかろうとしていた。ここから続く登りでどのぐらい落とさずに高い出力で維持できるかが重要
やなと考えていたところ、自分の後ろに何人かついてきた気配があった。

他カテゴリーか?まあ別にええけど、と思って見てみると同じ紫色のゼッケンである。
ん?周回遅れなんてないよな。他カテゴリーでも紫ゼッケンのことなんてあるのか?まだ逃げてたグループあったっけ?でも自分に先導車がずっとついてたよな…
とか混乱してたら、すぐに見知った森本さんや他の強豪達の姿を確認。
どうやら追いつかれたようだ。まじかよ、あの走りをしてて追いつかれたのか?どうやって?
高岡さんは去年一体どうやって逃げ切ったんや…。
一瞬これは終わったかもしれんと思ったが、まだ勝負は全く終わってはいないと思い直した。幸い自分はまだ脚は残っていそうだ。
©Makoto.AYANO/cyclowired.jp
いったん集団内で落ち着かせる。

とりあえず慶佐次の登りは集団の中で淡々と走り様子をみてみる。やはり自分はまだ脚はありそうだが、そんなに上げてなくても何人かは遅れているようである。みんな苦しいようだ。
ここは様子をみて集団の中で次の有銘の登りに備える。
cyclowiredや他の選手のレースレポートを見ると、ここで西谷君と岩島さんが抜け出したらしいのだが、実は全く覚えていない。レース中は認識したのかもしれないが、自分のすべきことに集中していたのかもしれない。

©Makoto.AYANO/cyclowired.jp

有銘の三段坂に入りじわっと上げていく。安波の学校坂のようにもう少しガツンといきたいところであったが、流石にそこまでの脚はなさそうである。しかしこの程度でもこれまで自分を追走してきた集団には厳しいようで人数は減っているようであり、自分も勾配がキツくなったところでプッシュしていくと3人になった(と思う)。
残ったメンツは真鍋君、中里さん、私。
©Makoto.AYANO/cyclowired.jp
勝負はついに3人に絞られた。

真鍋君は普久川ダムの登りでも強かったし、というか富士ヒルチャンプなので単体のヒルクライムならば私が敵うべくもない選手なのは知っているが、正直ロードレースでここまで残ってくるとは思っていなかった。そしてまだ動きも良さそうでかなり脅威だ。
中里さんはこの時点でほぼつきいちになり全く前に出てこない。これが戦略的なものか、単に脚がなくなっているのか分からなかったが、絶対に最後まで連れていってはいけない。真鍋君には何となくだが私の雑魚スプリントでも勝てるような気がするが(失礼)、中里さんにはいくら脚が消耗していても勝てる気がしない(一緒に走ったことないけど)。
この3人、実質私と真鍋君で回しながら淡々と進む。カヌチャリゾート前の2回の登りで少し様子見で上げてみると、真鍋君はまだ余裕がありそうな雰囲気だったが中里さんは苦しそうである。
脚がなくなっていることを期待したいと思った。
カヌチャ前で今回は無念のDNSとなった練習仲間の糸井さんからの声援を受け力をもらう。

ツールドおきなわ公式LIVE YouTubeより。

ここからの下りは2019年に工事区間がありそこに突っ込みかけた経験もあったので慎重に下る。
後は羽地までは平坦のみ。中里さんは全く前に出てこずつきいちに徹しており流石元プロだなと思っていた。この勝負に徹した割り切り方は自分のような素人にはできない。もし脚がなくなっていたり、スプリント勝負だとわかっていてもある程度回さないと悪いなと思って先頭に出てしまう。たぶん真鍋君も同じだろう。一度スピードを緩めて前に出てもらい様子をみると、やはり動きは重そうな印象を受ける。次の羽地で勝負を決めるしかない。
ややペースが落ちてたようで、後ろから1人合流してきた。バルバのジャージだ。最初、うわ、寺崎君かと思ったがすぐに井上和郎さんと分かった。
流石過ぎる。説明不要で自転車界で井上と言ったらもちろんマグロではなく和郎さんである。
中里さんと同じく、まともに練習していたらやや年齢は重ねたとはいえ私など足元にも及ばない実力の持ち主だ。
ただ、この前に千切れており、この合流時点でも相当キツそうだったのでこの先に羽地の登りがあるから大丈夫だろうと思っていた。

いよいよ羽地の登りへ。
入りから真鍋君がじわっと上げていってくれたのでそれについていき様子をみてみる。よく脚が回っており、強い。自分もキツい。真鍋君にここからさらにペースアップする脚があったとしたら厳しいかもしれないが、番越トンネルまでの中腹まででややペースは落ちた感があったのでこれなら行けるかもしれないと感じた。登り始めて早々に和郎さんは脱落したようであり、中里さんもキツそうでトンネル手前あたりから遅れ始めた。
©Makoto.AYANO/cyclowired.jp

これは攻めるしかないと自分もバイクから立ち上がり前に出てペースアップした。差は開いていき、最大の懸念は消え去った。
©Makoto.AYANO/cyclowired.jp

番越トンネルを超えた。
このままいってスプリントという選択肢も少し考えたが、そうじゃないだろう。攻撃すべきだ。
©Makoto.AYANO/cyclowired.jp

再びバイクから立ち上がり、ラインを変えてペースを上げた。



ツールドおきなわ公式LIVE YouTubeより。

少し差が開いた。
今、この時だ。勝つなら攻めるしかない。
©Makoto.AYANO/cyclowired.jp

「勝つのは俺だ」と自分に言い聞かせるように叫んだ。よく覚えていないが何回か叫んだ気がする。今思えば、疲労は感じず所謂ZONEに入りかけたような感覚があった。いや知らんけど。
プッシュし続けた。何度か後ろを振り返り、差がじわじわと広がっていくのを確認。
©Makoto.AYANO/cyclowired.jp

2つトンネルを越え、頂上を通過する時点では見えなくなった。
また雨は強くなっており、集中し続けていた。平坦や緩い下りはリラックスして脚を回すことを意識。下りコーナーはスピードを緩めて慎重に下った。
勝てるのか?またゴールで待っているだろう家族の顔が思い浮かんだが、すぐに目の前に集中しろと言い聞かせた。「身体は熱く心は冷静に」と言い聞かせ、何度か冷静にと声に出していた気がする。
緑の橋の手前にある、この下りで最もRのキツいコーナーを慎重に下り、この後は再びスピードに乗せる。
下りきり、最後の直線へと向かう東江4丁目の交差点を慎重に回った。
残り1.3km。エアロフォームを意識し、頭を下げて脚を回し続けた。何度か後ろを確認したが来てはいない。
フラムルージュを通過。
もう少しだと脚を緩めず回し続けた。
あと500、400…
ゴールゲートが近づき、後ろを確認。誰も来ていない。
勝利を確信したら涙が溢れてきた。
どうやら勝つらしい。
これまで何度も優勝のゴールシーンをイメージしていたが、それを超えたよくわからない感動が押し寄せてきて涙や謎な嗚咽が止まらない。
自然とガッツポーズが出てゴールラインを超えた。
©Makoto.AYANO/cyclowired.jp

勝ったようである。
少し走って、すぐに家族の姿を探した。
妻が子供達を連れてこちらへ走ってきて、また涙が止まらなくなり、妻と抱き合った。
子供は「何で勝ったのに泣いてるの?」と言っていた気がする。
続々とゴールし最後まで戦った真鍋君、中里さんらと握手を交わした。
僕を一番最初に自転車へと誘った、ボート部の先輩の中尾さんが100kmレースでゴールして駆け寄ってきてくれたらまた涙が止まらなくなった。
その後も森本さん、そして苦楽を共にしてきたマツケンさんも喜んでくれて涙が止まらなかった。
未だ勝ったことが信じられなかったが、自分がレースで勝ってこんなに感動するとは思わなかった。苦しい時も何も言わずサポートを続けてくれたサンボルトの橋本社長とも抱き合えた。他のレースを共に戦い祝福してくれた仲間達も本当にありがとう。
たかが趣味のアマチュアの自転車レースで勝っただけで涙するなど馬鹿げているかもしれない。今日の朝思ったようにたかが自転車レースだ。されど、自分にとっては何年もほぼ全てをかけて打ち込んできたものだ。それだけ自分にとっての大きな夢だったものが叶ったのだ。
©Makoto.AYANO/cyclowired.jp
念願の子供達と表彰台の高いところへ。

長女と次男と。

これまで何年もスポーツを続けてきたが、自分が本当に勝ちたいと思った大きなレースで勝ったことはなかった。
小学生の頃、足は速かったが、スポーツは得意とは言えず、野球やサッカーで活躍できるような友達は憧れだった。中学高校は、一番得意だと思っていた水泳を続けたが、本当に平凡な選手で県大会すら予選で敗退して本戦に出場できないような選手だった。弱いのは惨めで、強くなりたいと思った。
大学に入ったら当時まだ強かったアメフト部に入って鍛えるんやと思っていたが入学したら同じように強いと言われてこっちの方が向いてそうやなと感じてボート部に入った。
同じように強いというのは言い過ぎであったと入部後に判明したが、それでもこの競技に熱中し、先述の中尾先輩達と共にまさに青春の全てをかけてボートに打ち込み、全国レベルでも戦えるようになった。インカレや全日本で本当に勝ちたいとやってきて卒業後や大学再入学後も合わせて8年続けたが、結局インカレと全日本では4位が最高だった。それでもボートを通して、このタイプのマイナー持久系競技なら努力次第で上のレベルで戦えるようになる才能があると自信を得れた。
再入学した大学で3回生の時に以前からやってみたいと思っていたトライアスロンに転向した。クラブチームに入れてもらいジュニアのトップ選手達とトレーニングさせてもらい日本選手権でも上位に入れるようになった。大学世界選手権も日本代表で出れたが、1番勝ちたかったインカレでは2位が最高で結局勝ちきれなかった。
2013年、国家試験前に最後にと出たツールドおきなわ140kmで勝つことができ、沖縄という土地も含めたこのレースに魅了されまた働き始めても出たいなと思った。
翌2014年、自転車だけはトレーニングを継続し、初めて市民210kmに出場した。それまで憧れでしかなかったイナーメのグリーンのジャージに身を包んだ高岡さん、森本さんと終盤まで4〜5人の小集団に残り、本当に興奮した。
確か慶佐次か有銘で千切れて5位だった気がするが、本当に楽しくてこのレースに更にハマり、いつかこの市民210kmで勝ちたいと思うようになった。
翌年3位、次は落車もあったが2位と成績を伸ばし、次こそはと思った2017年。自信もあったがスプリントになり6位。結局はまだ勝ち切る実力がなかった。
2018年は全日本で8位と信じ難い結果を残すことができ前半は調子は良かったが、沖縄では落車して高岡さんも巻き込んでしまい、辞めようかと思うぐらいかなり凹んだ。
2019年はいい走りはできたがやはり高岡さんが強くてスプリントで負けマツケンさんに続く3位。
そしてコロナ禍へ。レースが尽く中止となる中、練習中に下りコーナーで落車。高速で吹っ飛ぶ最中にヤバいこれは死ぬかもと思ったがガードレールに激突し地面に打ち付けられて何とか生きていてホッとした。しかし動こうとした瞬間右股関節がゴリっとなり激痛で動けなかった。頚部骨折か、競技生活終わったかもな、しかし子供の頃から考えたら想像以上に色々競技で活躍できるようになって悪くない競技生活やったなと思った。
結局骨盤骨折で、信頼できる先輩医師の元に転院させてもらい、保存的治療(手術なし)としたお陰で順調に回復することができた。
しばらく真っ直ぐは歩けなかったが自転車にはそこまで影響はなかったと感じていた(おそらく影響はあったんだろう)。
しかしワクチン接種の影響なのか、この頃から体調不良を繰り返すようになり、心身のコンディションを保つのが困難になっていた。
一方、加齢で衰えてくるのを待つしかないかと思われた高岡さんは一向に衰える気配のないどころかさらに精強になっているような気がした。さらにコロナ禍でZwiftが流行ったのもあり、若くて強いアマチュア選手が多く出てきた。
自分はフィジカル的にも下降線を辿っており、もうおきなわで勝つのは厳しいかもな、今年までにして後は日々の健康目的にサイクリングを楽しむ生活にしようかなと何度も思った。
しかし同じように落車事故で大腿骨骨折し、そこから不屈の精神で這いあがろうとするマツケンさんに勇気をもらった。マツケンさんがやれるのに、それよりも若い自分が諦めるわけにはいかないと。
コロナ禍が明けつつあった昨年2022年もほぼ1年不調に苦しんでいたが、秋頃涼しくなってきた頃から調子が上向いてくるのを感じここ数年感じたことのなかったと力強さが戻りつつあったのを感じていた。結果は前編に記載した通りで直前とレース自体が残念な内容だったが、もう無理かと思われた状態からまた再びトップを争えるところまで戻ってこれたのには手応えを感じていたし、これならば来年もと期待させるものだった。
そして今年は記載した通り。他にも強い選手はたくさんいたが、全てが結果的にいい方向にうまくはまっての結果なんだろう。運も味方につけた感があった。これを何回も繰り返してきた高岡さんは流石としか言いようがない。

振り返れば数週間前に今回同様雨のレースで落車したことも結果論でしかないが今回安全に無事走り切れた結果に繋がった気がする。絞り切れなかったと悩んだのも結果的には、おきなわで前例のないぐらい低気温で雨となった過酷なコンディションで大きなアドバンテージとなったに違いない。私からみてカリカリに絞れていた選手は皆、この寒さにやられて本来の力を失っていたように思われた。
決して寒いのが得意という訳じゃないが(寧ろ苦手だと思っていたが)、今回はいつもと異なる環境で運が味方した面も多々あった気がしている。
来年、コンディションをまた持って来れるかわからないが、願わくばいつもと同じスタンダードな暑いおきなわでライバル達と闘ってみたい。
一度でいいから勝ちたいと思っていたが前年勝った者にしか連覇にはチャレンジできない。今回不本意な結果となった高岡さんやマツケンさん、また若くてまだ伸び代の大きい真鍋君、中里さん(来年の優勝候補筆頭だろう)も脅威である。
まだ王者というには程遠い。来年も挑戦者として積極的な走りをし、あわよくば連覇にチャレンジしてみたいと思う。

レースが終わり1週間が経とうとしている。まだ余韻が残っているが、終わった直後も今も感じているのはX(Twitter)にも書いたが終わったらもうただのダメなおっさんであるということだ。
自分で言うのも恐縮だが、私のことをよく知らない人が私の肩書きや戦歴のみを見たら「おいおい、コイツ一体どんなスペックの奴やねん」と思われるかもしれないが、実際にはかなりダメな人間である。何度遅刻せんとこうとしても毎回遅れる。やらねばならないことを後回しにする。コミュ障。これだけ好き放題練習させてもらって妻に迷惑をかけて負担をかけているにも関わらずロクに子供の面倒も見れない。他にも色々とダメ過ぎてここに書くのも躊躇われるほどだ。
当たり前であるのだが、ただのアマチュアの自転車レースで勝っただけで何も偉くなったわけでもなく、ここにいるのはタダのダメなおっさんであるということを意識して謙虚に生きていかねばならない。
表彰会場にて家族と。

こんな自分をずっと応援してくれて、支え続けてくれる妻には本当に感謝している。今年も、特におきなわが近づいてきたら思う存分練習したかろうと何も言わず、休日は子供達を朝から遊びに連れていってくれた。妻も今年から仕事を再開し、本当はもっと休みたいだろうにである。
この結果は半分以上は妻のお陰と言っても差し支えない。多くの家庭ならば秒で離縁されるであろう。本当にありがとう。
子供達もダメ親父が自転車だけは真剣に頑張っていることだけは分かってくれているようで、事あるごとに応援してくれるのが力になっている。ありがとう。
今年も帯同してくれて、妻が私のサポートしてくれた間に子供の面倒を見てくれたりしてもらった義母、年中応援してくれ支えてくれているMagellan Systems Japan代表の義父。名古屋から何も言わず応援してくれていた両親にも本当に感謝です。
そしてこんな自分の活動を応援してくれる今の職場の院長を始めとしたみなさん。2019年から縁あって勤めさせてもらってから、どれだけ毎日が気持ちよく職場に行けるようになっただろうか。
いつもお世話になっている京都・長岡京のチクロイプシロンの山脇店長。今回のTarmac SL8も組み上げてもらい、直前にも最終メンテをしてもらだだお陰で全くトラブルなく走り切ることができました。
いつも練習に付き合ってくれるフジタさん、糸井さんら北摂の練習仲間達。
最後になりましたがダメな自分を支えてくれる皆さまに本当に感謝です。たぶん今後もご迷惑をかけると思いますがどうかよろしくお願いいたします。

昨日家族に祝ってもらいました。

2023年11月17日金曜日

ツール・ド・おきなわ2023 市民200km(前編)

昨年のツールドおきなわ以来、ご無沙汰しておりました。日々の練習日記はほぼ完全にStravaに記載するようになっておりこの育児日記は完全に放置しておりましたが、今年もこのレースのレポートだけはこちらに記載しておきます。書き始めてたら長くなってしまいそうなので前後編(または前中後?)と分けてお届けさせていただきます。冗長になるかもしれませんがご了承ください。

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今年もこのレースを最大の目標として過ごしてきた。
まず昨年を振り返ると、割と直前までコンディションを順調に上げることができ優勝を狙うレベルに高めれたと感じていたが、レース10日ぐらい前に子供からの感染症に罹患したらしく一気に調子が悪化し完全に戻り切らないまま当日を迎えた。また長距離を走るとやや腰痛が出やすいという不安もあった。
レース自体は中盤の奥の上り後あたりで高岡さんの独走を許してしまい、そのうち集団で追えば大丈夫だろうと容認してしまったことが失敗だった。結局自分は後半の勝負所でチェーントラブルで脱落し、さらに止まったことで腰痛が悪化して追走する力もなくなり、12位という結果に終わった。

©Makoto.AYANO/cyclowired.jp

コンディション不良やトラブルなどもあったが、消極的なレース運びをしてしまったことで自分の中で煮え切らない不完全燃焼感が残り、次は必ず自分らしく積極的なレースをしようと誓った。
しかしオフシーズンに入ると体調不良を繰り返すようになり、それによる過食、メンタル的な不調など負の連鎖から抜け出せなくなりコンディションは長い間劣悪な状態であった。
春は10年ぶりにトライアスロンに挑戦すると決めたことで徐々に身体的なコンディション、モチベーションも回復してレースでも優勝することもできた。

万博トライアスロンにて。妻も一緒に出場(年代別1位!)

伊勢志摩里海トライアスロン。謎のスペインナショナルチーム招待選手に敗れる(笑)

以前から出場してみたかったひわさうみがめトライアスロンにて。

しばらく調子は上向きだったものの7月のひわさうみがめトライアスロン後にコロナに罹患したことで再びコンディションは大きく低下。症状から回復した後もしばらく心肺能力は大きく低下したままで一から軽めのベースライドからやり直す状態となった。

初めて陽性になったのを見たが、こんな一瞬で出るとは思ってなかった。

この時8月初旬。この時点ではもう1レース、10月にトライアスロンのミドルディスタンスのレースに出場予定であったものの、それより頭にあったのはツールドおきなわの存在である。
もうこんな状態で厳しいかな。年々徐々に低下する身体的能力。勝利を狙うのはもう諦めようかなどと考えたりもした。
しかしこの10年毎年ここにかけてきて、このまま勝てないまま諦めるのか?
答えは割とすぐに出た。Noだ。まだ諦めるのは早い。やれることはまだたくさんあるはずだ。
予定していた10月のトライアスロンはキャンセルし、完全にツールドおきなわ1本に絞ってトレーニングを再開した。

夏休みに家族旅行で清里に行った際に3日連続で涼しい環境の高地を走り、調子が上向いてくるきっかけとなった。

トレーニングを見直し、地味なベースライドを継続した。トライアスロンを再開したお陰で見直せたエアロフォームの探求も続けた。それを維持するために再開したコアトレーニングは腰痛も改善して力強い体幹を取り戻す、いやさらに強化するのにも役だった。
推定FTPは大きく低下し、最初は暑さもあり峠での20分走は全く出力もタイムも出なかったがそれでもレベルを低く設定し、毎週続けて行った。見かけ上の数値は低いが、暑熱負荷によりトレーニング効果はあるはずだと信じた。
コロナのダメージと暑さもあり、なかなか回復してこなかったが、秋になり走りやすい気候に変わってきた頃から予想通り急激にコンディションが上向いてきた感があった。体重も少しずつだがレースコンディションに近づきつつあり、これなら何とか戦えるのではないかという手応えを感じつつあった。

いつも練習してもらったフジタさん、マツケンさんと。まじで感謝。

また機材に関しては別記事にて記載しようと思っている(面倒くさくなったらやめたらすみません)が、機材を言い訳にできない状態にすべく、というより単純にこのバイクに乗ってみたいと強く思い新型Tarmac SL8に乗り換えた。マグロステッカーチューンが施され勝手に「Project black Maguro LTD」と名付けた新しい相棒は想像以上に驚くほど乗りやすく、最初のライドでこれは今まで乗った中で最高のバイクであると確信した。

©Makoto.AYANO/cyclowired.jp

上り調子の中で、調整レースとして、また新しい相棒のデビュー戦として10月初旬にあった伊豆CSCでのエンデューロレースに昨年に続き出場。序盤早々に抜け出して独走となり淡々と走っていたところ、降り始めた雨でslippyな路面に変わった秀峰亭からの下りコーナーで落車。詳細は省くがしばらく走り続けていたものの今後のことを考え(真実は妻に諭され)結局リタイアした。

伊豆CSCにて。

幸い身体のダメージは擦過傷がメインで軽度であったが、シェイクダウンしたばかりの新車が傷付いてしまい一体伊豆まで何をしに行ったんやとちょっと凹んだ。いや、けっこう凹んだ。しかしこういう時は好きな諺である「人間万事塞翁が馬」と考えることにしていた。これを期にコーナリングでの荷重、バイクの倒し具合を見直すことになったのだが、まさか本当に「塞翁が馬」となるとは…。
ここでDNFとなり乗れなかった分をと翌週末から距離を乗り込み始めたところ、何か自分の中のスイッチが押されて代謝が切り替わったような感覚がありさらに調子は上向きとなった。昨年はやや低下していた感のあった長距離全体での持久力が大きく改善され、その中でも高い出力を出せるようになりつつあった。地道に続けていた峠での20分走の値は7年ぐらい前のPBとほぼ同じぐらいまでになっており手応えを感じた。

ソロ舞鶴ライドにて。




糸井さんと小浜ライドへ行った際に。

調整レースとして、3週間前にAACAを、10日ほど前にスズカエンデューロ(アタック240)を走った。
結果としてはどちらも2位ではあったが、大して調整もしない中でしっかり力は出せて内容は悪くなく、本番に向けては手応えを感じた。

AACA、きょーしろーより。

スズカエンデューロ アタック240にて。負けたけど賞金7万ゲットして一安心(笑)

唯一、体重だけはトライアスロンでかつての上半身のマッスルメモリーを呼び起こしてしまったのかなかなか絞りきれず、直前までこれまでのレースウェイト+3kgに留まってしまい懸念事項であった。ただ、直前の峠のタイムトライアルでこれまでのPBを大幅に更新するなどよく走れていた。よく考えればおきなわのコースはパンチャー向きでそこまで減量は必要ないのかもしれないなと思うようになり、このまま直前に無理に絞らないようにして挑むことにした。結果的に絞り過ぎなかったことも偶然、当日の過酷なコンディションで大きなアドバンテージとなったと思われる。
例年この直前の時期、減量で日常生活すら倦怠感が強くヘロヘロになっていたが、それがなく身体が元気なのは大きなメリットだった。ただ、何故か深夜覚醒の状態が続いてしまい睡眠の状態が悪いのは懸念であった。私が「先生」と呼んでいるGarminのスマートウォッチの身体コンディションの数値はずっと低値であったが、身体の調子自体は昨年などよりも遥かによく、近年でも最高と感じれる状態でレース週を迎えることができた。

レース週は木曜におきなわ入り。私の師匠でもライバルでもあるマツケンさん(松木選手)が激推ししていて私が「アレ」と呼んでいた岩盤浴にてリラックスをした。

初日は沖縄南部をサイクリングし発見。

那覇で行ったアレ。

これはもちろん阪神のアレにかけたものである。アレでアレするんやという想いがあった。
レース2日前の金曜はやや身体は重かったが、コース試走でも想像以上にいい出力とタイムが出てたのでこれならば、という気持ちであった。またこの時、沖縄の濡れた路面ではダンシングでトラクションのかけ方を雑にするとリアがスリップすることを確認。基本シッティングにしつつダンシングの際はトラクションコントロールを意識して登ることにした。またタイヤ空気圧は最初4.0barにしていたが雨の場合、少し下げることにした。


金曜からカーボローディングを開始し、糖質をかなり摂取した。自分にとってエビデンスレベルAのフルグラ(なぜか糖質オフのやつ)は今年はやや控えめにし、定番の沖縄そばに加えパンや現地で見つけたデーツ、ハチミツをたっぷり入れたホットミルクなどをメインにローディングし身体が満たされていくのを感じた。まあローディングとか言えばかっこいいが要は食い過ぎてるだけであるが。
前日十分乗ってやや疲れもあり、土曜は雨の降る前の早朝に1時間程度軽く乗るのみとした。昼に出張で来られていたLifebloodの谷本先生にスポーツコンディショニングの施術を行ってもらった。2019年もお世話になり当日非常に調子が良かった経験があったのだ。結果これが非常に良くてこの夜は久々にぐっすりと眠ることができ当日の身体の動きも非常に良かった。

谷本先生と。

さて、おきなわ入りしてからの懸念事項のもう一つは天気であり、毎日何度も数種類の天気予報アプリを確認していた。

久々に引っ張り出してきたVelotozeに不具合がないことを確認。

前日はレインウェア(主にシューズカバー)を着用して確認も行っていたが、夜の段階でレース当日の天気はほぼ雨。しかも予報によってはかなり降りそうな時間帯もありそう。
雨のつもりで準備し就寝した。


久々にぐっすり眠れ身体の状態は良さそうだったが、当日はやはり雨。そして日中も気温が低そう。
当初の予定では普久川ダム頂上の補給ポイントで2回ほど、妻にボトル渡しをお願いする予定だったのだが、この低気温と雨では経験上最初のボトルだけで足りそうである。
予定を変更し、ダムでの補給はなしとし、妻には最後までスタート地点でウェアの受け渡しなどをしてもらい帯同してもらった。本当に感謝である。これも結果的によかった。雨の準備としてはVelotozeシューズカバー、ワセリン(プロペト)の全身塗布、キャップ、アイウェアは明るいレンズ(oakley prizm low light)にといったところである。アームカバーはつけずに半袖、グローブのみだった。
持っていったボトル、補給食は、
ボトル 950ml×2(ほぼ全量摂取)
①BCAA(EXTEND)+グランフォンドウォーター
②MAURTEN DRINK MIX 320 CAF100
補給食
井村屋 スポーツ羊羹 40g×6(うち4つ摂取)
MAURTEN GEL100 CAF100×1
だった。

ところでこれだけ準備してきて勝利を狙える状態(と思われる)にまで全てを注いで高めてきたにも関わらず、この天候でもう今日は怪我なく生きて帰れればそれだけでOKという気持ちになっており妻にもそれを伝えていた。安全に無茶せず走って、ラストに結果がついていればそれでいいや、たかが自転車レースだ、もっと大事なことがあると感じていた。しかしこれで結果的に変に気負わずリラックスして走れてよい結果となった気もしている。

タイヤ空気圧をF3.8 R3.85にセッティング(パナのデジタルゲージ)。
スタート15分前、妻とスタート地点へ向かった。

2022年11月20日日曜日

ツール・ド・おきなわ2022 市民210km

どうもご無沙汰しております。

前回4月の富士チャレ以来、しばらく休載しておりましたが生きてます。


3年ぶりに開催された2022ツールドおきなわ市民210kmに参戦し1週間が経過しました。

12位と残念な結果に終わり、しばし抜け殻のようになっておりましたがこの1週間でレースを振り返り、感じたことを久々にレースレポートとして記載します。



まずは前回からの空白の期間、どうしていたかについてから。



4月末の富士チャレを寒さでリタイアした後も不調が続いていたが、ニセコと全日本を見据えて5月末の美山ロードに参戦。

勝負に絡めるようなコンディションではなかったものの序盤にできた勝ち逃げグループには入れたのでこの辺りの勘は鈍ってないなと感じれたのは収穫だったか。

力が足りず脱落し第2集団でゴール、と思いきやラストスプリントでの落車を避けれず巻き込まれた。身体は大したことはなかったかのように思われたが結局肋骨骨折があったりVengeのトップチューブにもクラックらしきものが入って修理が必要となった。





思いの外身体のダメージが大きく、そもそもフィジカル的なコンディションが全く上がってなかったのでシーズン前半の目標であったニセコクラシックや全日本はDNSとしていったん短いオフにすることとした。


1-2週間ほど休んでから徐々に低い強度から練習を再開。

おそらくレースがあまりなかったことと、ワクチン接種後の体調不良が続いたことで強度が出せなくなり、高い強度の練習が不足していたことが不調の一因だと考え、新しい取り組みなどもしてみたのだが一向に復調の気配がない。

8月初旬に家庭内感染があったと思われ(推定)、さらに強度が出せない状態に。

以前のテンポレベルがキツ過ぎて20分程度しか持たない上に、一度そういった練習をこなすと疲れが出てさらに調子を落として低強度でしか練習できないといった状態。

この状態から抜け出せずに、十分に時間があると思われたおきなわも怪しい雰囲気になり、もう10月ぐらいまでこの状態だったら諦めようかなとさえ思っていた。

8月末ごろ、もうこりゃ休まないとあかんなと決心して1週間ほど休養した。

結果的にこれがよかったのか、この後は気候が徐々に涼しくなってくるとともに楽にパワーが出るようになってきて調子が戻ってきた。

9月に出場しようと思っていた秩父宮杯はまだ万全ではなく回避したものの、継続して計画したメニューがこなせるようになり急激な回復の手応えを得始めた。

9月中旬に自分にとって数少ない、そこそこレベルの高いレースであるAACAカップに出場。終盤に数人の逃げに持ち込み、最後はキナンの新城選手にスプリントで負けたものの総合2位で、ある程度走れるという手応えを得た。

トレーニングは軌道に乗り始め、10月初旬には伊豆CSCで行われた5時間エンデューロに出場。これはコロナ禍以前は夏場に行われており過酷なイベントとして一度出場してみたいと考えていたレースだった。

おきなわ前にこの時間の長距離レースを走れるいい機会なので本番を想定した補給体制で家族にも手伝ってもらって挑んだ。余談だが、いいレースである筈なのに開催の周知が全くなされておらず、過疎り過ぎてたのが残念だった。(何せ公式のTwitterアカウントのレース告知のツイートに数件いいねがついてたぐらいだったからな…(^^;))来年は開催するのであればもう少し人を集める努力をしてもいいんじゃないかと感じた。

レースは2周目ぐらいで2人チームの選手との逃げになり、数周したら独走に。終盤までいい出力とペースで走れたが、終盤から腰痛が出始めてペースを落としてしまい、2人チームに抜かれてしまった。まあ冷静に考えればそこそこ足のあるチームにこのコースで単独で勝つのはかなり厳しいのだが(^^;)彼ら以外の選手はほぼLapしており、ソロのカテゴリーでは優勝であった。




レース結果:

https://www.csc.or.jp/wp/wp-content/uploads/2022/08/4ab45cd7cd01232a4623630fd8ac388d.pdf


データ的には5h252w,NP272wと悪くない内容だったが、腰痛が強くなり走れなくなったことはやや不安が残る内容だった。また、後の大きな伏線となるのだが、このレースで2回、チェーン落ちした。

この後も順調に練習を積むことができ、体重もレーシングウェイトへと近づいてきたところで、そろそろライバル達と練習してもいい頃だろうと判断し、マツケンさん主催の沖縄対策練に参加させてもらう。レース出場が少ない私にとって、ここからのこういった練習は本当に大事だと考えてレースのつもりで挑んだ。







この翌週の仙人(田中君)とのオバマ練、兼松さん主催のよもぎ練を経て、自分の感覚とライバル達の状態から考えて十分な手応えを得た。夏場にはどん底であったが、今や今までで最も勝利に近づいていると感じれる程になっていた。

 


しかしこの最後11/3(木祝)のよもぎ練の時は疲労のためか少し調子が落ちているなと感じていた。そしてこの翌日以降、かなり疲れが出てしまい軽めに乗るのもキツイと感じる程にコンディションを落としてしまう。しまった、やり過ぎて疲労を蓄積させてしまったかと軽く走るのみで疲労回復に努めるが

さらにこの週末に子供が発熱。妻と協議して私は家から隔離して過ごすことに。私自身は発熱はないものの怪しげな体調のまま、何とかショートインターバルはそこそこの強度でこなせる状態には回復していることを確認して木曜に沖縄入り。


職場で入手したN95マスクを装用し万全の対策で。

ここでも念のため家族とは別行動、部屋も別とした。ここまで調整してくれた妻には本当に感謝しかない。妻も元々おきなわ50kmに出る予定だったのだが自分はキャンセルして子供達のことを全て引き受けてくれた。



金曜に名護から新コースを逆走して試走へ。走り始めて序盤力が入らず、まだダメかもしれないという感じではあったが、折り返して有銘の登りや新コースで上げてみると、楽にこれまでのPRが出ておりこれなら行けるかと手応えを感じる内容だった。


土曜は雨。沖縄の天気に関しては2週間ぐらい前から毎日チェックしており、その時点ではこの週末は天気もよく土日は28℃ぐらいまで上昇する見込みで久々のあの暑いおきなわになるかという自分にとっては好ましい予想だった。が、予報に反して天気は崩れレース当日も怪しげな雰囲気。

土曜も予報で少し弱まった時に出るかと待機していたものの一向に降り止まず、もっと早朝に走っておくべきだったと後悔することに。

昼過ぎに雨雲レーダー見てしばらく止みそうな時を見計らい出発するも、結局かなり降ってきて雨の中を走ることに。1時間半ぐらいやり過ぎないように走った。タラレバになるもののレース当日状態がイマイチだったのはこれが余計だったかもと反省している。







最近食い過ぎて失敗しがちだったカーボローディングに関しては木曜から食い過ぎず適度な量でコントロールしており上手くいった感はあった。




いつものフルグラも1袋開けてしまうようなことはなく、他のCarbも計算してコントロールして摂取することができた。

他のレース前のコンディショニングの失敗としては、2週間ぐらい熟睡できず睡眠不足が続いており沖縄入りしてからもレース前日まで改善されず夜中に起きたり早朝覚醒してしまった。

家族の体調不良なども重なり神経質になってしまい、ある意味しょうがなかったかもしれない。妻ともレース後のこの1週間で振り返って、神経質になり過ぎてたかもね、とも話していたが、隔離して過ごしたのはあの時点ではベストな対策だったと思うし、あれのお陰で感染を未然に防げた可能性もあったかもしれない。ある意味小さい子供を抱える家族の宿命かもしれない。


ここでレースの核となると考えていたライバル達について記しておこう。

この3年で力をつけてきた人も多かったが、特に注意すべきと考えていたのはこの方々。

言わずもがな高岡さん。例年夏頃までパフォーマンスが上がっていないように見えたとしても沖縄までには必ず最高のコンディションに仕上げてくる。力、経験とも抜けたアマチュア自転車界の皇帝。年齢など関係なく、過去最強の状態で今年もやってくると考えておいて損することはないだろう。

石井君。ニセコやJBCFの勝利で力を見せており、走りの積極性も素晴らしい。きっとどこかで抜け出そうとするだろう。

佐々木遼君。富士ヒルチャンプでこれまで走ったロードレースでも強さを発揮していた。仙人とよく練習してるようでかなり仕上がってると情報あり要警戒。

マツケン師匠。大腿骨骨折から復帰してきた春先まではほぼ間違いなくアマチュア最強で、こんなおっさんにどうやって勝つねん?と主治医として治療を施してしまったことに後悔を感じるほどだったが、春の不運な事故により調子を落としてしまったのが痛かった。ただし苦しいところで必ず残る精神力は人並外れており、ただでは終わるまい。

寺崎君。彼に関しては注意すべきというか、最後まで残ってしまったら勝てる見込みはほぼない。おきなわの長距離と暑さは苦手なイメージだが、克服してきたとしたら為す術はない。

もちろん他にも注意すべき強力な選手が多く、以前より上位に入ってきそうなレベルの選手の層が増えているのは間違いなかった。一方、何年か前の香港ナショナルチャンプのような参加者はいなさそうなので安心はした。


そして迎えたレース当日、4:00過ぎに寝不足感を感じたまま起きてしまい外を確認するとかなりの雨。

必要と思われる炭水化物をご飯やパンから十分に摂取し、雨雲レーダーを見続けていたがスタート時間ぐらいに止みそうで直前まで待機。


ちょうど出るぐらいにほぼ止んでいたので一旦半袖で出陣するもまた強めに降ってきたので戻ってウィンドブレーカーを着用してスタートへ。


©MakotoAYANO/cyclowired.jp



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SMAPの森さんがスターターとして来られており、いざスタート。


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路面は完全ウェットだが落ち着いた雰囲気ではあるか。先導車の後ろを石井君がピッタリとマークしており、明らかにスタートから逃げそうな雰囲気。私の知る限りでは少なくとも市民210kmではスタートから逃げ切った例は一度もなく、これまでの経験からもスタートからの逃げが成功する可能性はかなり低いと思われるが、そう思って最初の時点から逃してしまい10分近く空いてしまうと逃げ切られる可能性がある選手であるので逃したくはないところ。

リアルスタートが切られると案の定石井君含めて数人が行ったのでマークしておくが、本気で逃げようという感じではなくあわよくばという雰囲気を感じたので、チェックしに行くといった感じで脚を使わないようにしつつマーク。


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まあ当然石井君と私が行ってしまうのが容認されることはなく追ってくるので決まる訳はないが、おきなわでのスタート地点からの逃げはロマンがあっていいなと思ったりしていた。

この後も石井君は何度か逃げを試み、あれだけ力がありながらもこの大レースでトライしようとする姿勢にリスペクトを感じる。

ある程度走ったところ(本部半島中盤くらいか?)で数人と共に逃げが決まって石井君も行ってしまうが他には力がある選手はおらず、集団も高岡さんがペースコントロールのために積極的に前を牽いて悪くないペースだったので大きく差が開くことはないだろうと考えてこれ以上追うのはやめた。正直なところこれでライバルが1人減る可能性が高くなりシメシメと感じていた。


西海岸に出て高岡さんの呼びかけで1回目のトイレストップを経て淡々と悪くないペースで走る。まだ路面は濡れているものの雨は上がって比較的安心して走れる状態。高岡さんがエアロフォームで積極的に集団を牽いているのでひょっとしてアシストに徹して木村君で勝負にくるつもりなのか??と考えたりしていたが結果的には何のことはなかったな()

石井君との差も1分ぐらいらしくかなりよい状態。

1回目の普久川上ダムに入り、ここは例年通り適度なペースで淡々と。VC VELOCEの方が前に出てきていいペースメイクをしてくれていた。

KOMで補給ボトルを受け取る。今年はいつも補給をして下さる方が来れないとのことで、何と妻の母が手伝ってくれて早朝からここまで来てくれていた。予めボトル渡しも練習していたので完璧だった。本当に感謝しかない。

特に問題なく、石井君も吸収して奥へ向かう下りへ。

誰も出てこないので先頭で走ることが多いが、敢えてブレーキをかける必要もないので軽い負荷で淡々と走る。少し蒸し暑さも出てきたか、といったところで奥の上り手前で2回目のトイレ休憩。実はこれまでトイレ休憩で遅れるリスクを負いたくなくあまりしなかったのだが、今日は安心できる雰囲気だったので2回目も止まって用を足す。

奥の上りも淡々と、といったところだったが頂上が近づくにつれてややペースが上がってきた感があって少し位置を上げていくとどうもまた石井君が上げてるっぽい。特に苦しむことはなくクリアするが石井君と2-3人ぐらい?が抜け出していた。

ここで抜け出しても2回目のフンガワで追いつく可能性が高いのでここもシメシメと感じて放置しておく。


で、この後に高岡さんの例のエアアタック。

あまり本気度は感じず、これまでこのレースでそういうことをする人ではなかったのでやはり今日はアシストになるつもりなのか??とか思っているといつの間にか抜け出している。

この時点では行ってくれたことにシメシメと感じていた。というのは前回2019年時、私もここで小畑さんとRXの方と抜け出した記憶があるのだが当然後ろは追ってきて捕まるので無駄足に終わる可能性が高いからだ。

で、前の方に出てきて様子を見ていたのだが、割とあっという間に差が開いてこれはちょっとマズいな、もうちょっとペース上げて追おう、として前でペースを上げて回していこうとするも追う意志を持って回そうとするのはシュンスケ含めて数人といった感じでうまく回らず差が縮まらない。

結局のところこれで勝負は決まってしまった訳だが、愚かな(ローテが回らないことを予期できなかった)私はこの時???と感じていた。いやいや、石井君と高岡さんという自分以外では絶対に逃してはならない2人が行ってるのに何故追おうとしないのかと。他の有力選手達はどういうつもりなのだろうか、フンガワでどうせ捉えれるから泳がしておこうというつもりなのか?と。

事態を理解するために少し時間がかかったが、どうも前の逃げにメンバーを入れてるチームが2つあり、ペースアップに積極的ではないっぽい。余談だが、プロでもないアマチュアレースでこの「チームメンバーが前に入ってるので」という類のことを少し笑いながらしゃべってくる奴は全く好きになれず、アマチュアの癖に何を小賢しい事を抜かしとんねん、貴様自分が勝つ気はないんかと殴り倒したい衝動に駆られる程である。もちろんそれが正当であり全く非はないことは理解はしていて個人的な感情なので気にしないで欲しい。

で、うまく回らないのでこれは前でペースを上げようと回してもムダなだけやなと感じてここは諦めて淡々と走ることに。幸い、西海岸を南下していると高岡さんらしい数人は目視できる距離には捉えられており、推定1-1.5分といったところか。そこまでは開いてないので2回目のフンガワで捉えれるだろう。こちらには強いクライマーがまだ何人も残っている。

2回目のフンガワに突入すると、予想通り佐々木遼くん、シュンスケや森本さんといった強いクライマーが積極的に牽引してくれていいペースで上っていく。自分もそこに入るけど、ちょっとキツイなと感じて彼らほどいいペースでは牽いていけないイマイチな感覚(他の人がどう感じたかは分からないが)。レース後に振り返りログを見てもそこまでの出力ではなかったので、こう感じていた時点でこの日は調子が良くなかったのかもしれなかった。

このペースでいけば多分捉えれるなと思って走りKOMが近づくと石井君の色鮮やかなTrekが視界に入る。だが何となく高岡さんの姿がない気がする。

KOMで義母から無事ボトルを受け取り、逃げに近づくとやはり高岡さんはいない。


©MakotoAYANO/cyclowired.jp

ん、まさか先に行ってるのか?それか抜いたっけ??とか思っていると石井君にシュンスケが聞いてて、強過ぎてついていけんかったと。

ああやはりと思ったが、我々もいいペースで上ってきたのでせいぜい30-60秒ぐらい先だろうと思っていた。

高江への下りへ。路面はまだ濡れており、ここの下りはこれまでもドライの時でも落車が頻発しているので車間を空け気味にして慎重に下る。

すると少し前を走っていた選手が、何となく転びそうだなと感じるスピードでコーナーに進入していった。やはり滑ってその直後の選手も避けきれず落車。これはヤバいなと思ったが、タイヤが滑り出さないぐらいのブレーキングで減速して何とか滑らずにかわすことができた。マツケンさんもレース後に語っていたがあれを避けれて事故なく帰ってこれたのは本当によかった。転んだ選手が無事であるといいのだが

で、こんなこともあって少々集団のペースは緩んでしまった感があったかもしれない。そしてモトから高岡さんとの差が告げられると何と2分とのこと。

これはかなりマズイなと感じた。ここからのアップダウンは集団の統率がとれていない限り、単独でも力を残して上手く走った方が速い。

「学校坂で上げ過ぎずにみんなで追おう。そっちの方が速い。」的なことを言う声が聞こえる。

そんな訳あるかいと思ってある程度のペースで学校坂を上りそこそこ走れる奴に絞っておくかと先頭で牽いていくも、先程の落車を回避した安堵感から回復していないからか、予想以上にへばっているからなのか、あまりペースを上げれないまま上ってしまう。これがこの日第2のミスで、もっとペースを上げて追走できる精鋭に絞っておくべきだったとレース後思っていたのだが、今こうして振り返ってみると落車を回避できた安堵感が強くてたぶんもう一度やり直せたとしても無理だったろうな。


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この後は例年、アップダウンを利用した高岡さんらのアタックが頻繁にかかる部分である。ここからは追い付く見込みがあるとすれば上げ下げせずに集団でいいペースで回していった方がよいと思われたので回していこうとするが、案の定というべきか前に出てくるのは数人でありスピードは上がらない。アップダウン区間を終え、モトから差は2分半であると告げられ絶望を感じる。


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少し前から今日はあまり調子が良くないなとは感じていたが、この精神的なダメージもあってか自分もあまりペースを上げれない。

レース前は今回は今までで一番勝てる可能性が高いと感じていたし、勝つためにここに来たので、この状況に焦りを感じていた。かなり厳しい状況であったが、何が起こるか分からないのがレース。自分ができることはこの先に上げて独走、もしくは数人で走る展開に持ち込んで追いつく可能性に賭けるしかない。


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慶佐次の補給所を過ぎ、満を持して有銘の坂の登り口からダンシングで上げていくが、やはり思ったよりペースが上げれない。でも行けるところまで行こうとペースで走っていると、チェーンが落ちた。


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これはちょうどチェーン落ちして減速したところと思われ、佐々木遼君がこっちをガン見してるね(笑)


ここでか〜とまずは乗ったまま直せるかしばしトライするも入りそうになく、一旦停車して直して再スタート。この時点ではまだ追いつけるかもしれないぐらいだったが、再スタート直後にまたチェーン落ちして万事休す。


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もう一度ストップして直し、綾野さんに押してもらって再々スタートするも集団の姿は見えず。


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そして一旦ストップしたからか、今シーズンよく出ていた腰痛が強くなってしまい出力が上げれない。実は少し前から腰痛が出ててきているのを感じていた。


ここでこのチェーントラブルについて、愚かな私の準備を告白しよう。

実はこのアウターからのチェーン落ちの症状、9月頃からたまに出ており、10月の伊豆CSC5時間エンデューロでも2度チェーン落ちして止まっている(結果にはほぼ影響なかったが)

チェーンよりもアウターチェーンリングの摩耗が推定され、レース前には新品に交換しようとしていたのたが、いざ交換しようとしたらコロナの影響で在庫がない。

ヤフオクには3万円ぐらいの高値で新古品が出ていたが、高くて躊躇っていた。すると何故かチェーン落ちの症状は出なくなりレース前3週間は一度もなかった。レース1週間前にショップで決戦チェーンに交換して変速調整してもらい、チェーンリングの交換も相談していた。やはり摩耗しているので変えれるなら変えた方がよいと。在庫も探してもらったのだがやはりない。もし決戦チェーンで怪しげだったらチェーンリングのグレードを下げてでも交換すべきとの結論に至った。しかしレース週の平日のショートインターバルでは高トルクをかけても怪しげなところはなく、アウターローにして落ちやすい状況にして確認してみても落ちそうな雰囲気がなかったことからこのまま行くことを決断。直前にヤフオクで自分のより状態のよさげな中古チェーンリングが出ていたので購入して沖縄まで送ってもらうも、沖縄での試走でも調子がよかったことから直前に交換してトラブルが出るリスクと迷って結局交換しないまま出場することにしたのだ。

もしチェーン落ちしなかったとしても勝てることはなかっただろうが、集団から抜け出せてたか、少なくとも2位争いの集団ではゴールできていただろう。ここに来るまでにかけてきたコスト、努力、家族たちのサポート、それらをたかが3万をケチって台無しにした私のバカさを笑って欲しい。トラブルが出る可能性をお金で解決できるところはしておくべきだったが自分の貧乏性が出てしまった。大いに反省している。


ここで勝負自体はほぼ決着がついてしまった。メンタル的にはかなりダメージを受けたが、ここまで尽力してくれた家族のことを思い出し、自分の出来るだけの走りをしようと出来る限りのペースで有銘の坂を上る。以前ニセコでメカトラでバイク交換した時も諦めず走ってたら上位に追いついたこともあったし、沖縄でも落車後諦めずに走ってたら2位になったこともあったしなと。

だが今回は腰の痛みが強くて特に下って平坦に入ると全くパワーが出せない。カヌチャの手前ぐらいでマツケンさんの姿を捉え、合流してダメでしたねと一緒に走る。マツケンさんも事故後、かなり辛い思いをしてきただろう。十分に牽くこともできず最後の羽地へ。

ダメ元でダンシングで登り始めると、登りでは思ったほど腰痛は出ず、そこそこの出力で走れる雰囲気。次第に身体も動いて上げれるようになってきたのでマツケンさんには悪いが先に行かせてもらうことに。番越トンネルを過ぎ、新コースをほぼダンシングで上っていく途中で何人かは抜いて頂上へ。頂上付近で1人にちょうど追いつく形となりそのままの勢いで交わそうとするも勾配がなくなると力が出せず、そのまま2人で。

相手はおそらく若い選手、この順位でスプリントするのも大人気ないかなと思ったものの、来年以降もこのコースになる可能性もあり貴重な経験を無駄にできんなと考え直してラストはツキイチからスプリントして先着させてもらった。ごめんね。


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最終的には12位と、有銘のトラブルで遅れた時の想定よりはよかったが、勝つことのみを目指していたこともあり無力感は強かった。


レース後1週間が経った。レース直後には今回は勝つつもりでやってきたつもりでその力もあったけど、色々とうまく噛み合わずにダメだったなと感じていた。しかし時間が経つ中で振り返ると、負けるべくして負けたなと。

故野村監督は「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負け無し」と言ったが、まさにこれ。

確かに今年、絶望的な状態から勝ちを狙えるぐらいのフィジカルに持っていくことはできたけど、直前のレースまでのコンディショニング、レースでの展開を読み、実行する力、バイクの整備、どれも足りなかった。

レースをやり直せたとしたら勝つ世界線もあるだろうが、これらの負ける要素が多々あり、多くは負けるに違いない。勝つためにはこれらの要素を一つ一つ潰して挑まねばならない。

そしてこのツールドおきなわというレースは特に、勝ちたいのであれば自分から勝利を掴みに行かなければ勝てないレースだなと改めて思い知らされた。ここでの勝利者(私が参加し始めてからほぼ1人だが笑)は皆そうして脚を使って勝ってきた筈だ。

今回、(少なくとも2週間前までは)過去最高の状態に持ってこれた感触があり、今までと違って勝負どころで決めれるという自信があった。そのため自分で動いて脚を使ってしまいがちな例年より我慢して、勝負どころで動こうと決めていた。そのため例年なら即反応したであろう高岡さんの抜け出しも見送ってしまったのは確かだ。

しかし「あまり脚を使いたくない」「思ったよりローテが回らない」「こちらにはまだ力のある選手が多い」とか他人に頼った思考になっている時点で既に負けていた。自分から勝利を掴みにいかねばならなかったのだ。そのことを強く意識してトレーニングを積んでいかねば。


ただ今年、本当に絶望的だと感じていたところからまた再び勝利を狙えるぐらいの状態まで持ってくることができたことは本当によかった。正直なところコロナ禍に入ってからのフィジカル的な状態は低下傾向にあり、自分らしい走りは出来なくなっていた。昨年は秋にエベレスティングもやったけど高い強度は結局イマイチのまま終わり、さらに2022年になってからの長い不調は精神的にもかなりキツく、あまり考えたくなかったが想定していた加齢による衰えがこんなに早く来てしまったのか、もうダメなんかなと考えるようになっていた。何となく自分は歳を重ねても息長く力を維持できるタイプだと思い込んでいたのだが。

事故の骨盤骨折の影響も多少は有るかもしれないが、その歳の冬のCXに参戦した時にはフィジカル的にかなり良いと感じていた期間もありおそらく違うと感じていた。自分が考えているのはおそらく、度重なるワクチン接種後の不調と感染(推定)のコンボが重なり全く強度が上げれない期間が長かったのと、その状態で無理して低強度でもいいからと量を積み過ぎたことによるオーバートレーニング症候群だったのだと思う。

一度休養を挟んで9月末ごろから徐々に力が出るようになってきて、強い仲間達と練習で走る中で、数年ぶりにまたこのレベルで走れるなと感じれたことは本当に喜びだった。休養は本当に大事だと認識した。

来年もまたこの状態にもってこれるという保証もないし、どちらかと言えば下り坂に入っているのは間違いないと思っているが、今回まだ練習の工夫次第で何とかなるなと手応えを得れたのは本当によかった。そして何よりこのレースの勝者がまだあの力を保っているという事実が自分に勇気をくれている()

まだ来年も、このライバル達との闘いを楽しめそうだ。

そしてたかがアマチュアのレースにこんなに夢中になってこの時期家族もそっちのけで傾倒しているにも関わらず、無事怪我なく帰ってくれて何より、また来年も応援するからと言ってくれる妻には本当に感謝しかない。

たぶん今後もやるべきことをやらないクソ亭主で妻の怒りを買ってばかりだとは思うが、来年こそ勝利を掴み取りその喜びを家族で分かち合うことを夢見てチャレンジし続けたいと思う。

みなさままた来年もよろしくお願いします。


レース後にずっと行きたいと思ってたキャプテンカンガルーのハンバーガーを。



夜は家族と腹がはち切れんばかりに食べて動けなくなるなど。



翌日は家族でネオパークおきなわへ。

旅の〆はやはりコレで。

大阪に戻ってから子供達といつもの某回転寿司で。