2025年11月14日金曜日

ツールドおきなわ2025 市民200km レースレポート

レース当日、4:30前に起床。よかった、今日も発熱はしておらず体調は良さそうだ。朝食でフルグラ(以下略)。

外は結構強く雨が降っていたがレース前には上がって快晴となっていた。いつも練習前のルーティンとして行っているプレエクササイズを行い、準備万端でスタート10分前に整列。

©Makoto.AYANO/cyclowired.jp

instagram  @makotoayano 

以下のレース中の写真は全てcyclowired編集長の綾野さんより使用許可を得ています。いつもありがとうございます。

深呼吸して精神を落ち着けた。

レースに入る前に使用機材や、注意していたライバル選手についても述べておこう。

2025使用機材

 * フレーム:S-works tarmac SL8 project black

 * コンポ: Dura Ace 9170(11速) ブレーキのみ9200系

 * ハンドル: Roval Rapide cockpit 115×380mm

 * サドル:Fizik VENTO ARGO 00 Adaptive(140mm)

 * ペダル: Assioma pro RS-2

 * クランク: Dura Ace 9100 165mm(pionnerペダリングモニター付き)

 * チェーンリング: 54-42

 * ウェア: SUNVOLT

 * ヘルメット: Specialized EVADE3

 * シューズ: シマノrc901


コメント:

2023年から乗り始めて以降、このSL8は非常に乗りやすくて何も不満がなく非常に気に入っている。これまで乗った中で間違いなく最高のバイク。基本的には2023年から大きな変更はない。コンポも特に不満は感じていないので未だに9170のままであるが、次のモデルチェンジで13速になるなら変更も検討するかもしれない。

クランク長は昨年の夏頃から165mmに変更して上手くいっている。去年流行に乗って170から短くしていい感触だったので、もっと短くしたらさらに良くなるんちゃうかと思って夏頃に160mmに変更してみた。これも好感触だったので実はおきなわ1週間前の鈴鹿エンデューロまでずっと使用しておりこのまま本番までいくつもりだったのだが、前述の10月後半の不調も重なり迷い始め、今シーズンベストを出したのがほぼローラーについてる165mmだったのもあって直前に散々迷った挙句、鈴鹿翌日に165mmに戻した。まあたぶん、160でも170でも実際にはほとんどパフォーマンス自体は変わらない気がするから来年また160にトライするんじゃないかと思う。

サドルはしばらくアリエクで買ったエセpower mirror 3Dプリントサドルを使っていたのだが、夏頃にたまたま気になっていたポガチャルと同じサドルが某フリマサイトで安く出品されているのを見つけ、衝動買いしてみたら結構よかったのでそのまま使っている。なお、シートクランプは昔ボントレガーのサドルを使っていた頃に作成した、太いレールに合わせるように切削したものを使ったている(フィジークもスペシャに比べて少し太い)。前乗りなので、今年念願のゼロオフセットシートポストを入手して使用している。

シューズはシマノ現行モデルから2世代前のrc901を使用している。実はrc902も903も中古で入手して試したことがあるのたが、どうも902になった時にラストが変更されたらしく微妙に合わなくなり、履いた直後から少し違和感がある上にしばらく乗ってると足に痛みが出てくるのでこれはダメだと判断してすぐに売った。ちなみに夏頃に、ユンボが使ってるnimblのシューズも格安で見つけて興味があったので買って試してみたが、これはクリート位置の調整幅が狭くてポジションが出せない(踵寄りにいかない)上にやはり乗ってみたらすぐに痛みが出て来たのですぐに売った。自分にとっては初代900か901が合っており、今のところ901の41wideが最高である。シューズは重量などより、いかに自分の足型に合っていて、ロングライドでも痛みが出ずに快適に走れるかが最も重視すべき点であると考えている。

ペダルは交換する気はなかったが、夏頃にAssioma(lookタイプ)が故障したため結局、最新のシマノタイプに買い替えた。ちなみにイタリアの本社とやり取りしたが、メールが返信されてくるのがめちゃくちゃ遅く、1回やりとりするのに1週間以上を要したのでAssioma使用者は注意されたし。レースではDuraペダルにしとこうかとも思ったが重量もそんな変わらんし結局そのままレースに使用した。


注意していたライバル:

高岡さん(以上)


コメント: 

もちろん今年活躍していた石井君や大前君など、明らかに自分より強い若手や、仙人(田中裕二)や加藤君といったクライマー勢にも注目していたが、若手は一緒に走ったこともないしよくわからない。このおきなわのレースはこれまで経験上、100km以下のレースで自分では到底及ばないような強い選手でも何故か距離と暑さにやられてか脱落していくパターンを多く見てきたので実際に走ってみないとわからないと思っていた。まあ結果的にはめちゃくちゃ強かったわけだが。

いち高岡ファンである私は、彼のこの10年以上に渡るおきなわ前のコンディショニングや言動なども把握しており、その傾向から今年は良さそうだと感じていた。50歳も近くなっているというのに俄かに信じ難いことではあるが。このレースを何度も勝ってきた経験、レース戦略、独走力や展開を読み利用する力、コーナーや下りのテクニック。フィジカルの多少の衰えは差し引いたとしてもどれも自分より格上であることは間違いない。直前の世界選手権でも惜しい2位になっており、明らかにコンディションは良そうで、疑いようもなく最も注意すべきライバルである。



さて、レースに戻ろう。

序盤は特に大きなトラブルもなく進む。数人逃げているよう。タイム差がわからず、特に危険な逃げではないと考えられたのもあってかかなりスローペース。あんまり逃げと差が空くのも嫌だなぁと思いつつ、ほとんどポタリングペースで1回目の普久川ダムへの登りへ。

この登りへの入り口は晴天でもかなりスリップしやすく、特に今日は雨上がりである。自分も昔、練習で後輪が滑って危うかったことを2度経験しているので注意すべき箇所として認識していた。少し前の選手達のコーナーの侵入角度とスピードが怪しげだなあと思って、前とのマージンをとっておいたら案の定落車が発生してマツケンさん含む数人が巻き込まれていた。大腿骨を骨折された方もいると聞いており、辛い経験になったと思うが回復を祈っております。

何とか回避できて先頭へ合流。事前には1回目から仙人(田中裕士)らクライマーが爆上げしてくる展開も想定していたが特に何も起こらず、きょうしろう(河田)が淡々とひいてくれていつも通りのSSTぐらいな感じで上まで。下りも落車が頻発する区間なのでマージンをとって慎重に走り、頂上の補給へ。


今年は妻と子供達が補給に向かってくれたのでここで会えるのを一つの楽しみにしていた。先述の通り週初めに子供と妻がインフルエンザに罹患して、妻はインフルエンザ自体は一旦軽快したものの体調不良が続いてまた発熱していたのだが、この日それを押しても補給所へ向かってくれた。本当に感謝しかない。無事妻と子供を見つけて補給を受け取り、声援をもらって奥への下りへ。


割とすぐに石井選手含む10人ちょいの逃げができて後ろと少し離れていた。そしてグループ内にRXの赤いウェアは見当たらない。これはええやんと思って逃げようとしたものの、足並みが揃わず早々に追いつかれた。正直、あの千載一遇の好機にローテに入ることを躊躇って後ろにつこうと考える奴は一体何をしにここに来たのか全く分からない。この後も石井選手と抜け出したこともあったが流石に容認される訳もなく追いつかれて集団で奥の登りをこなす。

実は石井選手のことは大阪の近場で練習していながらほとんど話したことはなくよく知らなかったのだが、この奥らへんで自分が変速でちょっとジャラついてスピードが落ちた際に、後ろからそっと支えて押してくれたので「お、こいつめっちゃいい奴やんけ」となりレース中に好感度が爆上がりした。若手ながらレース中のライバルにも関わらずこういうことができるのは素晴らしく私も見習いたいものである。


奥を抜けて西海岸へ。ここで高岡さん含んだ数人が抜け出してるのが見えたので2022年のあの高岡さんの逃げへと繋がった展開がフラッシュバックし、これはあかんとブリッジ。割と良さそうなグループだったがまあこれも当然追ってきて再び集団で普久川の登りへ。

2本目はまたトップクライマー勢によるハイペースを期待したものの特にアクションもなく、名岐ベンドの選手がいいペースで淡々と走ってくれるので後ろで走らせてもらって頂上まで。2回目も妻と子供達から補給ボトルを受け取っていよいよ学校坂方面へ。


集団前方でここも安全を優先させて慎重に下る。先頭付近で走っていると思われる高岡さんはやはり速く、下り切ったところではやや差が開いているが問題ないレベル。

登りが始まる前には追いついていよいよ学校坂へ。

何となく今日は脚がイマイチなのではないかという気もしていたが、これまで比較的スローペースで特にキツいと感じた場面もなかったので他の人も余力があるのではないかと思われる。まだ集団の人数はかなり多いと思われるのでここで上げて絞り込んでいかねばならない。

登り始めでは前が空かず渋滞してしまったが、間を縫って先頭に出て、サドルから腰を上げて私のツールドおきなわを開幕させた。

後ろは見ずに自分に集中し上げていくとほとんどついてきてない雰囲気。登り終盤で垂れてきたのでやはり今日はイマイチなのかと思いつつ、ついてきた1人(岩間選手)は強いはずなので彼とこのまま逃げをはかる。

しかし彼ももうあまり脚がなくなったようで、とりあえずつきいちでいいのでついてきてくれと話して踏んでいくが結局千切れて単独になった模様。

集団が細切れになって、強い奴だけがついてきてくれるか、または千切れて集団がまとまるまでに時間がかかり差が開いていくことを期待したが、後ろを振り返ると比較的まとまっていそうな集団が確認でき差は20秒程度か。これはあまり好ましくない雰囲気。

そして自分もやはりあまり脚がなくてパワーダウンしてくる感覚がありエアロフォームで踏んでいくがアップダウンの登りであまりパワーが出ず、後方を確認すると差は開いていない模様。

これは厳しいかと思いつつ淡々と走り続けるもののやはり徐々に集団との差が詰まってきてどう考えても追いつかれると思われたので諦めて集団と合流することを選択。まあそれなりに集団の人数は減ったようだ。

集団からは古谷君や湾岸の選手が抜け出したりでなかなか強い。自分もそれにブリッジして集団に追わせ、徐々に脚が削られていくのを期待する。

そしてやはり高岡さんがいつもの飛び出しを見せたかと思えば、今度は大前君が出てきたりなど、なかなか休む暇を与えてくれない。

これまでRXはチームとして何人か出場しつつも高岡さんの力が飛び抜けており、それをサポートできる力を持った選手はいなかったため少なくともおきなわ市民200でチームとして機能していたことはなかったと思うが、ここにきて大前君という高岡さんと同等またはそれ以上の力を持った選手が加わったことで初めてチームとして機能していた。代わる代わるアタックされることで自分の脚も地味に削られていった可能性が高い。それならもっと大人しくしておけばいいじゃないかというところだが、それは積極的に動いて攻めの走りをするという私の信条に反するので今後もそうすることはないだろう。これは私が高岡さんをリスペクトしていることの一つだ。これまで一緒に走ったどのレースでも、自分から攻めてレースを動かしていこうという走りを常にしていた。集団内で大人しくして無駄な動きはせず力を温存し、最後だけちょい差しして勝つというのは立派なロードレースの戦略であり、WTのレースでプロのスプリンターがそう走るのは当然なのであるが、アマチュアのロードレースでそれをする選手は何故か私は好きになれない。まあ好みの問題です。

そうこうしているうちに東村を超えて慶佐次の登りへ。ここは比較的短めの登りが2つあり、2つ目の方が地味に長い。私はやはりちょっとキツくて1つ目はやり過ごし、2本目後半で少し上げてみるが集団が離れるようなキレはもうない。正直、けっこうヘバっていてマズい。

終盤の勝負所の一つである有銘の坂へ。

麓から上げていこうとするがもう全くキレはない。仙人の後ろでしばらくやり過ごして落ち着けた後にまた少しじわじわと上げるしか出来ない。

高岡さんが2019年のように上げていき、マジかよと思ったが流石にそこそこ脚に来ているようでキレがなく、落としたところでカウンターを入れて集団を減らしにかかる。ここと、次の2コブ目の地味に長くてキツい坂である程度人数が減らせただろうか。


有銘を下りカヌチャ方面へ。ここの下りで先行する高岡大前石井(確か)の3人と私の前2人と差が開いていき、ああこれはヤバいやつや、下手すると行ってしまうぞと思ったので下ったところで追いつくのに頑張ってかなり脚を使い瀕死の状態になってしまう。これ、確か2019年も似たようなことをやらかしたな…。この時点でもう羽地は千切れる予感しかしなかったが、ローテを回して走ってるうちに少し回復してきて思考もポジティブなものに戻ってきた。

いつも思うことだが、ツールドおきなわ市民200での最終盤はどんな選手でも相応に消耗し尽くしており、最後は精神力の強さが勝敗の大きなウエイトを占める。自分がこれだけキツいのだから相手も同等かさらにキツくなっているはず。最後まで諦めずにやれるだけやるしかないという気持ちに変わっていった。

いよいよ最終盤の羽地へ。最初は様子見で入るとそれなりに回復しておりある程度は動けるようだ。これならいけるはずだとじわじわと上げて先頭に立ち番越トンネルへと向かう。

トンネルを越えてもうここで行くしかないと、キレはないがまたサドルから立ち上がって上げていくと徐々に後続が千切れ始めた模様。高岡さんがついに千切れているのを確認。

ここはもう最大限の力で攻めるしかない。自分に喝を入れて上げていく。もうキレは全くなく、ボクシングの最終ラウンドでお互いヘナヘナのパンチを打ち合っている状態であるが、ついに大前君が千切れたようでGinrinの選手と2人に。


攻め続けるべくサドルに座ったまま脚を回すと大前君は離れて行ったようだがGinrinの選手がかなり手強くて離れていきそうな気配がない。

この選手のことを全く知らないし(大変失礼だが畝原君じゃなくて名前を聞いたことがある木村君だと思っていた)、スプリントがあるかとか全くわからん。

全く分からんがどうやら彼との勝負になったのでここから様子を探ってみるしかないな…と思い込んでしまったのがこの日の最大の私のミス。

後ろについて少し回復させ、登り返しのところなどで少しアタックしてみて様子をみたりしつつしていざ下りへ…というところで後ろから大前&石井コンビが飛んできて抜いていった…。

しまった、やってしまったと思った。

考えてみれば自分もキレのない削られた状態で何とか引き離した状態なのに、どうして2人の勝負だと思い込んで少し脚を緩めてしまったのだろうか。1人で抜け出していたら間違いなく踏み続けていたのだが。

よくプロのレースでスプリントのお見合いを始めた2〜3人が結局集団に追いつかれるシーンを見ると、試聴者側からすれば何をバカなことをやってるんだという気持ちにしかならないが、あれはレースをしている側からするともう残ってるやつとの勝負だと思い込んで追いつかれるパターンが頭から抜けてしまうんだろうなということがよくわかった。貴重な経験をしていい勉強になった(これが活かせるレースをすることがもうあるのかわからないが)。


なってしまったものは仕方ないので切り替えるしかない。しかし相手はどう考えても自分より圧倒的にスプリント力の勝る大前、石井。そしてこの時点では全くわからなかったGinrin畝原君。どうすべきかと考えつつ最後の直線へのコーナーを右折しようとしていたら…


高岡さんが後ろからかっ飛んできた。

これには本当に驚いたし、してやられたと思った。当然大前君は追わず、畝原君が追い、石井君が続いてその後ろにつける。

厳しそうだったら自分が行くしかないと思っていたが、徐々に追いついてきたのでそのまま何とか合流。まだダメ元のスプリントにするか、お見合いしてくれることに賭けてロングスプリントにしてみるか迷ったが、残り1kmぐらいで少し緩んだので意を決してロングスプリントへ。

しかし初速からもう集団を引き離すようなキレもなく、ただのリードアウト役となり、ラスト100mぐらいであえなく差されて終了。岩間選手も来ていたようで差されて5位。終わってしまった、勝てなかった…。


終了直後はやられた感はあったものの、一方、若干イマイチだったなりに最後まで諦めずに粘って出し切った感もあり、まあまあ清々しい気持ちであった。あそこからかっ飛んできた高岡さんは流石だなとも本当に感心して、あういうレース勘的なものは全然及ばないなと感じていた。

しかし負けた時のいつも通り、時間が経つにつれてジワジワと悔しくなってきて、どうして抜け出した時に踏み続けなかったのかと後悔の念が強くなってきた。YouTubeのlive動画を見返しても、2人で抜け出して2つ目の東江原トンネルに入る辺りからは畝原君の後ろで回復させてようとしている自分が確認できる。もうこの時の自分をブン殴ってやりたいですよ…。


しばらくは後悔の念で悶々と過ごすことになりそうだが、一方でシーズン前半のダメダメっぷりからよくここまで持って来れたなと、夏以降は大崩れすることもなく基本的にはやることに集中してコンディションを上げていけたことは自分の中で評価したい。


アマチュアレースの最高峰と考えられるこのツールドおきなわと乗鞍ヒルクライムは、他のレースと一線を画すことの一つには、この2つには物語が存在するということだと思う。

ツールドおきなわ市民200(210)ではこの10年ほとんどの期間を高岡さんが王者として君臨し続け、それに挑み続ける挑戦者達という構図が存在していた。その挑戦者の筆頭としてマツケンさんや僭越ながら私が常にいて、力はあるが勝ちきれずに高岡さんの高い壁に阻まれ続けるという物語が見るものをまた楽しませていたのではないかと思う。2023年に遂に優勝することができた。これまで常に高岡さんの背中を追い続け、何とかその王朝を崩そうと踠いていたこの10年が本当に楽しかった。しかしその物語ももう終焉に近づいているということに寂しさを感じていた。強い若手が出現して負けても、もう高岡さんを追い続けていた時のようなモチベーションを保てる自信は全くなく、そのままフェードアウトしていくのだろうと感じていた。

しかし今年、強力な若手達が参戦し、RXが2枚看板として再び高い壁として立ちはだかったことで、私の挑戦者としての魂が再び呼び覚まされたのを感じている。正直、昨年ならば今までの取り組みだけで勝負できたと思うが、今年ツールドおきなわ市民200は新しい時代を迎えたと言っても差し支えないと思う。勝ちに行くならば新たな時代に向けてまた自分もアップデートしていかねばならない。やはり自分には、王者として君臨するよりも、それに挑み続けるチャレンジャーの方が気質的に合っているようだ。

一方で今のフィジカルを維持できるのもよくてあと2〜3年、いやもっと短い可能性の方が高いと思う。高岡さんのように息長く活躍したいとは思っているが自分にそれができる自信はない。残された時間の短さを自覚し、来年もう一度チャレンジャーとして頂点を奪りにいきたい。(完)

レース後、恒例のBlueSealにて、
応援してくれた娘と。



2025年11月12日水曜日

ツールドおきなわ2025 〜レースに向かうまで〜

 昨年、豪雨により中止になってしまったため2年ぶりの開催となったツールドおきなわ2025。まずは昨年苦渋の決断をしなければならなかったが再び開催に向けて準備していただいた大会関係者の方々に感謝したい。

レースレポートの前に今大会へ向けた1年について振り返ってみたい。

昨年のツールドおきなわ2024へは、これまでにない仕上がりで大会に挑むことが出来たため非常に残念で無念の思いだった。仕上げた身体と精神のやりどころに困り、12月のサイパンのレース、「ヘルオブマリアナ」に出場し優勝することができた。



例年オフシーズンで心身ともにスイッチが切れ堕落してしまうことが多いが、今年はサイパンまでそれなりに節制を続けたことでいい流れでオフシーズンへ入ることができ、そこまで暴食せずにトレーニングを継続して比較的よいオフシーズンを遅れるかのように見えた。

しかし年末あたりに体調を崩したり、息子とやろうと思ってSwitchにダウンロードした「ドラクエⅪ」にハマって完全にゲーム廃人となったことを契機に一気にコンディションを崩し、もはや秋の精強な心身は失われて見る影もなくなった。まあ毎年の事であるが。

妻は、この私が毎年極限まで鍛えられた心身を造作もなく一旦完全に崩壊させ、また再度0から作り直すのを繰り返している様を陶芸家とか芸術家のようだと評したが、あながち間違ってはいない気がする。

自分自身、一度完全にそれまでのものを破壊して「ただの少し運動が好きなそこら辺にいる中肉中背のおっさん」となった状態となり、自分の弱さに危機感を感じるようにならないとまたスイッチが入らないようなところがあると感じている。


というわけで今シーズンもまた結局、0からのスタートとなったわけだが、今年はシーズン前半にトライアスロンのレースに出場するのはやめて、久々にニセコクラシックに出ようかと考えていたため冬の間も外へ乗りに行ったりしていた。雪が降る中凍えながら走ったりして今年はいい流れだなと感じていた。


一方で走ってはいたものの練習するとすぐに体調を崩したりもあり一向にコンディションは上向いて来ず、またレースに向けて高強度のトレーニングを入れたり、「戦おう」とする気持ちが全く湧いて来なかった。

私もいつの間か40才を過ぎ、今年は特に大厄の厄年であるらしい。この年になって分かったことだが、身体の衰えよりも寧ろ、昔に比べるとレースに勝とうとか、誰々を倒そうという若い頃にはあった燃えたぎる様な情熱がなくなってきているのは確かだと感じていた。

ほとんどのプロスポーツ選手も、どんな名選手でもたいていは40歳前後を境に引退していくことが多いが、身体の衰えもあるだろうが気力の衰えが大きいんだろうなと思う。

20代の頃はほとんど常に毎日運動してないと気が済まなかったし、もっと戦いたいという渇望があったがそういったものが薄れてきているのを感じていた。そして、毎日ローラーを1時間ぐらい気持ちがいいぐらいに乗って運動して、週末はそんなに乗らずに子供ともっと遊んだりどっか行ったりするような生活も悪くないなと感じる様になっていた。10年前には考えられなかったことだ。ああ、こうやってみんな戦いの世界からひっそりと退いていくんだろうな、自分ももうその時なのかもしれないと感じ始めていた。

だから、50近くなってなお、自転車に対する情熱を持ち続け、年中レースに出続けている高岡さんは本当にすごいと思った。ああ、優勝してからもあの人は毎年毎年これをやり続けてるのかと。自分には到底真似できそうにないなと感じた。


そういうわけで全くコンディションもモチベーションも上がらず、到底ニセコで誰かと戦うようなコンディションに持っていけるとは思えなかったのでそのプランは変更し、今年も自分のペースでトレーニングを続けて近場のトライアスロンへ出場することにして水泳やランのトレーニングを再開した。

自転車以外のトレーニングを再開すると、水泳やランはやるたびにすぐ速くなるので楽しくなり、ついついトレーニングをやり過ぎてしまうようになる。

仕事の昼休み中にプールへ向かい猛然と泳いでからそそくさと退散して速攻昼飯を食べて午後の仕事へ向かう。

次第にエスカレートしてきて、早朝の4:00前に起きて2時間ぐらい公園のランかローラーに乗り、昼休みに時間があればプールで泳ぐのを毎日繰り返すようになった。

41歳の大厄となった歳に、20代のまだ寝れば回復していた学生の頃より睡眠時間を削ってあの頃より練習をし、子供を幼稚園へ送って仕事へ行き(学生時代は授業中は基本的に睡眠時間だったが)、本来しっかり休養して回復させるべき昼休みに泳ぎ、夜まで仕事して疲れ果て夜遅くに帰宅した後は寝るだけである。妻も今年から専攻医となり当直業務がある日もあり、早く帰れる日は子供のことなどもしなければならない。

回復力の落ちた41歳のおっさんが、学生の頃より少ない睡眠時間で学生の頃よりたくさん練習し、かつあの頃は十分に時間を割いてできていたストレッチなどの身体のケアも怠っている。これをずっと続けているとどうなるであろうか?

そう、当然のように故障する。



5月の某日、早朝にいつもの練習前のプレエクササイズで腰椎を回旋させるモビリティの運動をしようとしたところ腰に激痛が走った。そして左下肢痛がある。嫌な予感だ。練習はごく軽めにして様子を見ていたが、翌日からも日常生活が困難なほどの下肢痛が出ていて特に朝はどの肢位をとっても痛みが辛いことがある。

これは仕事で自分が患者に毎日説明してるやつやんけ。たぶん椎間板ヘルニアだ。

様子を見ていたが1週間ほどしてもけっこう辛いので腰椎MRIを撮像。幸い、神経根への強い圧迫があるようなヘルニアはなく安心したが、新たに腰椎の変性と炎症を発見。

実は今年も、5月に痛める前からもロングライドに行くと腰痛が出るようになっており、酷いと1時間ぐらいで継続困難なほどの腰痛が出るようになっていた。

特に2020年に骨盤骨折した際に中臀筋も酷くやられたためかロードバイクでの腰痛が出がちになっており、特に2022年のおきなわ前は仕上がりは悪くなかったものの腰痛だけは改善せず、レースでは終盤の勝負どころ(高岡さんが逃げてたので2位争いであるが)でチェーン落ちすると共に一旦ストップしたことで腰痛が強く出てしまった。その後腰痛のため出力を全く上げれず追い上げれなかった大きな敗因となった。

今年も似たような嫌な腰痛が続いていて、これをおきなわまでには何とかしないとヤバいなと感じていたところだった。

MRI撮像したことで、この腰痛が生じる原因が下位腰椎の変性と炎症にある可能性があると判明したことは大きかった。私は「人間万事塞翁が馬」という諺が好きであるが、まさに塞翁が馬だと感じた。このピンチをチャンスと捉えるべきだ。

もう一度プランを白紙に戻し、自分がどうしたいのか見直すこととした。

色々と昔と比べるとあの頃ほどの情熱はないとはいえ、今も常に心の中に燻っているものはまたツールドおきなわで勝ちたいというそれのみである。正直、他のレースはどうでもよい。もう一度、できたら今度は寒いコンディションじゃないいつものツールドおきなわで優勝したい。

6〜7月に考えていたトライアスロンのレースは全てキャンセルし、まずはこの腰痛に対する治療の第一選択である、コアトレーニングを徹底的に行っていくことにした。

睡眠時間をもう少し確保し、昼は積極的に休養をとって回復させることにした。ストレッチも含めフォームローラーのマッサージなど身体のケアをする時間を確保してまずは安定したコアと柔軟性を取り戻し、そして以前より強化することを目標としてトレーニングを継続した。

幸い、2週間ほどで強い腰痛や下肢痛はほぼ消失して自転車の練習はまともにできるようになったが、ロングライドで出現する腰痛はすぐに改善することはなかった。これは地道にトレーニングを続けていくしかないと考えていた。

ポジションや姿勢、腹圧なども色々と模索したが、特に強度を上げると腰痛が発生しやすいことから、おそらくペダルストロークの強い力を体幹部で支え切れず腰椎で代償してしまいその結果疼痛が生じるのだろうと考えた。捻れに対抗する筋力を養成するようなコアトレーニングを選定し、臀部からの出力に対して腰椎が回旋してしまわないように意識してほぼ毎日練習前と、仕事の間など隙あらば無理のない範囲でコアトレーニングを継続した。ポガチャルがトレーニング前にやっているという臀筋周囲のレジスタンスバンドのプレエクササイズも取り入れた。


最初はもちろん目立った効果もなく、まだ腰痛が出現する状態ではあったが、毎日やり始めてから1ヶ月ぐらいすると少しコアの安定を感じるようになり、自転車で腰痛が出現してくる時間が遅くなったような気がした。

コアが強化されてくるとプランクの持続時間が増えて、腰椎回旋へ対抗する筋力を要するようなエクササイズが安定してできるようになってきた。


7〜8月は例年、暑さのためかコンディションが大きく低下するのは分かっていた。20歳ぐらいのボートをやっている時からトライアスロン時代を経て今現在に至るまで、例外なく毎年真夏にコンディションがかなり落ちるので、涼しい避暑地に長期滞在するなどの対策を取らない限りは不可避と思われる。近年、悪いなりにこの時期に暑さに耐えつつ無理のない範囲で練習を続けていくと秋頃に急激にコンディションが上向いてくることを発見した。

これは以前には分かっていなかったことだが、おそらく現代の日本の気候のために自然と適切なヒートトレーニングとなり涼しくなるとパフォーマンスが向上するのではと考えている。

7〜8月ごろからここ3年の継続している通り、弱いなりに暑い中トレーニングを継続した。週1〜2回行っていた東福井での20分走は、秋の仕上がった頃なら鼻歌混じりで走れるような強度で夏場はほぼ限界であったがそれでも地道に継続した。

夏場のトレーニングに加え、コアトレーニングも毎日継続した。8月にSNSで「消防士のコアトレーニング」という体幹トレーニングを発見。最初はあまりできなかったが、特にやはり体幹部の捻れに対しての筋力が弱いことがわかり、このトレーニングのための負荷を軽くしたトレーニングを続けたところ、少しずつスムーズにできるようになっていった。8月下旬頃には驚いたことに、ずっと苦しんできたロングライドでの腰痛がほとんど出なくなっていることに気付いた。腰痛が出ずに自転車で走れることがこんな快適なことだとは。最初は2分程度から再開したシンプルなプランクは、今や途中にダイアゴナルを何度も入れたり、消防士のコアトレーニングを何セットか挟んだりしつつ5分以上こなせるようになった。


9月。本格的にツールドおきなわへ向けたトレーニングを開始する時期である。例年通り、早朝など少し気温が下がるようになってくると維持できる出力が上がってきた。それと同時に、私はこの時期ぐらいからエビデンスのあるサプリメントや食事を集中して投資し始める。SNSの時間も減らし、より質の高い睡眠を確保するように努めた。近場のスーパー銭湯へ行き、身体をほぐしたりサウナでリラックス(ヒートトレーニングも?)するのも開始した。

6月頃からおきなわに向けてのみ集中していくことを決めた時はまだいまいちモチベーションや闘志は戻っておらず、また心身共にいいコンディションに戻せるのか不安があった。もう歳で以前のような強い気持ちは戻ってこないんじゃないかと。

しかし9月中旬頃には、今年もツールドおきなわで勝つのは自分であるという、強い闘志と覚悟が心から湧いてきているのを感じ、モチベーション高く1回1回の練習に望めるようになっていた。

Stravaログの2023〜2024年の同時期のパフォーマンスと比較すると、だいたい同じかそれよりよいペースで上向いてきているのを確認できた。


200kmを大きく超えるようなロングライドを繰り返し距離を乗り込むことに対して、自己満足であり否定的な意見も散見される。

しかし私の場合は、250kmを超えるようなロングライドを繰り返すことで明らかにパフォーマンスが上がってくるという実感がある。逆に距離を乗らないと強度を上げてもあまり上がってこない印象がある。この辺りは個人差があるので一概には言えず、短時間高強度の練習だけで強い人もいるが、私の場合はたくさん乗ってなんぼの選手のようである。海外WTのプロ選手の中でも量にこだわる選手がいることからも、おそらく個人によってトレーニングに対する反応の違いがあるんだと考えている。

9月中旬ぐらいから250kmぐらいのロングライドへの渇望が高まり始め、またそのトレーニングを楽しむようになっていた。とてもいい兆候だ。妻も激務で疲れ果てているのに、週末は一日中外へ遊びに出掛けてロクでもない父親であり夫であるが、勝つためにこの時期だけとお願いして理解してもらっており本当に感謝である。


順調にコンディションは上がりつつあったが、10月中旬に自院でインフルエンザワクチン接種をしてからコンディションが低下。一時的に高強度が全然出せなくなった上に、少し強度が高めの練習してからの回復力が格段に低下していた。自分がワクチン接種に非常に脆弱であることを自覚しながらもインフルワクチンはこれまであまり副作用がなかった印象があり、大一番での罹患のリスクを下げるために接種したのだが、気になって過去の自分のカルテを見てみたらここ数年、全ておきなわ後に接種していた。そして去年は12月にヘルオブマリアナがあったのだが、おきなわ直後はまだ参加することを決めかねており接種していたため、Stravaのログを確認すると接種後2週間ほどばっちりパフォーマンスが低下していた。

本当に後悔してChatGPT先生にも相談したりしたが、やはり免疫活性化により一時的にミトコンドリア機能が低下することがあり、特にアスリートでは出現しやすいとのこと。自分はこの反応が強く出るんだろうと推察した。やってしまったことは仕方ないので先生の指示に従い推奨される食事、サプリメント摂取を行いトレーニングプランを変更したりした。

そしてこれと重なる、この時期の子供達の感染症の嵐である。特に保育園に通院してる次男は立て続けに感染症に罹患。もうこれは仕方がないことである。今年は妻の仕事が忙しくなり私も頻繁に送迎をしていたが、あそこは本当に病原菌の巣窟である。小さい子供を複数抱えている家庭でこの時期に感染症のトラップをノーダメージで潜り抜けることはほとんど不可能に近い。よほど先天的に病原菌に強い体質の勇者でなければ無理であろう。私と同じような家庭環境の競技者はコンディショニングに関して、そうでない競技者に対して圧倒的にハンデを負っていると言っても差し支えないであろう。10月後半の週末は予定していた峠走を含む強度高めのロングライドがほとんどできないか、やっても強度を思ったように上げることができず、そのくせ食欲だけは落ちないので体重も逆に増えてしまいかなり焦りを感じていた。


おきなわに向けた調整レースとして10月末に恒例の長良川のAACAに出場。何と今シーズンこれが初レースであった。高強度への耐性が低下しており、特に序盤のアタックの応酬でレースってこんなキツかったっけ?と感じた側面はあったものの、終盤にキナンの新城選手と学生と抜け出して、その逃げの中でもいい強度で走れたので復調の手応えがあり満足のいく内容であった。しかしやはり翌日には全く走れず、依然回復力の低下を感じていた。

再び何とかコンディションが回復してたかな?というところで、おきなわ1週間前に最終調整レースである鈴鹿エンデューロ(アタック240)を迎える。これは賞金がかかっているので別の意味でも重要であるが、約6時間近くをノンストップで走り続けて補給などの本番のシミュレーションができ、またマトリックスのサポートライダーがいてツール4位のマンセボ大先生の後ろで走って、その背中から学習できるものが大きいので意義の大きいレースである。

鈴鹿サーキットのほぼフルフラットのレースであるため例年苦戦するのであるが、今年はやや

手薄だったのもあり後半に抜け出して独走することができ、いい調整となった。

しかしまだ回復力が落ちたままの状態であるようで、結局この1週間前の最終の連休ではこのレースのダメージから回復せず予定していた練習ができないままほとんどリカバリーで終了。


そしてここで最大の山場が発生する。次男が再度発熱して小児科の検査でインフルA+。そして妻も発熱。自分もタミフルの予防内服を行ったが明らかに安静時心拍数が高くて変である。HRVはずっと低値で移行していた。私の推察では自分もある程度の量のウイルスに暴露されたが、ワクチン接種のお陰で再度免疫系が活性化して戦っている感覚があった。

ワクチン接種直後にはコンディションが低下し非常に後悔したが、結果的には接種したお陰でインフルに罹患するのを防げた可能性が高いため、まさに「万事塞翁が馬」である。


内服とリカバリーのおかげかこの後はだいぶコンディションが回復してきた感があった。機材に関してはいつもお世話になっているチクロイプシロンの山脇さんに最終調整していただいた。やはり山脇さんにみてもらうと本当に安心感がある。

これなら何とか戦えるんじゃないかという気持ちと、試走して全く強度が出せなかったらどうしようという不安を抱きつつ、木曜に決戦の地、沖縄へと向かった。


金曜に例年通りの試走を施行。ややキツイかなとは感じたものの身体はしっかり動いて強度も上げることができた。strava上では学校坂のタイムがここ3年の金曜の試走で全く同じであったため、例年と同等レベルのコンディションはあるのではないかと思われた。あとはリカバリーに専念するだけである。今年も2023年からお世話になっているLifebloodの出張コンディショニングで谷本先生に施術していただき身体を整えてもらい、金曜から土曜にかけて買い込んだ大福や当然持参したフルグラをチャージしてカーボアップを計る。フルグラはエビデンスレベルAの白フルグラ(糖質オフ)だ。例年と同様、うわ、ちょっと食い過ぎたかな、と感じて若干後悔した。レース前推定体重は66kgである。体調不良を押して来てくれた妻と普久川ダムでの補給の打ち合わせを行い、翌日ダムの頂上で家族に会えるのを楽しみにしつつ就寝した。